「もう、そんな刻限か」

信乃は、木々の間から覗く空を見上げて呟く。
山に入った頃は何処までも青かった空が、微かに赤を含み始めていた。

額蔵は、気に食わない。
しかし、浜路が来るまでに満ちていた悪意にも似た感覚を無視できるほど、信乃は図太くは無かった。
ここは、一緒に帰るのが賢明だろうと判断し、信乃は木刀を拾い上げる。

浜路と額蔵だけで帰すのはいささか心もとないが、一緒に帰るなら話は別だ。
額蔵であっても、居ないよりはましだろう。

そう判じて、ざくざくと山道を進むと、その隣には与四朗が並んだ。

けれど、浜路も額蔵も一向に後をついて来る気配がない。
信乃は訝りながら振り向く。

「なんだよ、帰るんだろ?」

木々もその存在を忘れたかのように、ぽっかりと空いた場所で、額蔵が驚いた顔のまま立ち止まっている。
その横で、浜路は楽しそうに笑った。

「信乃さまが素直に帰るなんて言ったから、額蔵が驚いてしまっているわ。
 でもね、変なことじゃないのよ。
 だって、信乃さまは今日はチョットだけ、里山が怖いだけですもの」
「怖い、ですか…?」
「そうなの、なんだか私にとても驚いてね…」
「浜路!」

焦りをにじませ話を遮った信乃に、コロコロと楽しげに笑いながら、浜路は額蔵の手を引いた。

「帰りましょう、日が暮れちゃうわ」

そのまま立ち止まった信乃を追い越して行く。
浜路に手を引かれた額蔵も、その後に続いた。

「信乃さんも、行きましょう」

追い越されながら掴まれた手は、皮膚が厚い。
かさりと乾いた感触がした。