浜路は、額蔵の姿が消えるまで、大きく振っていた手を下す。
信乃にならんだのはほんの数秒で、歩調を緩めぬまま、追い越して山を下った。

「浜路、あまり先に行くなよ。
 迷子になったら洒落にならないぞ」
「大丈夫です!」

語気の荒い返答をして、どんどんと山道を下って行く。

里山を庭のように駆けまわる信乃に対して、浜路は山歩きには慣れていない。
しかし、信乃を追い越してしまっても、浜路が帰り道に困ることはなかった。
大塚村までの道筋は、払われて倒れた草が示しているのだ。

けれど、額蔵が言ったように、何が潜んでいるかも分からない山の中だ。
先ほどの怖気を思い出し、信乃は歩調を速めた。

道の途中に、踏み倒されなかった鬼百合が咲いている。
気付いた浜路は、黄色と赤の混じった色をした、強い香りを放つ花弁の前で、立ち止まった。

「額蔵は、いい人よ」

百合を見つめて、独り言のように浜路は言う。

「さっきだってそう。
 額蔵は、きっと仕事なんて無かったわ。
 信乃さまが、一緒に帰るのを嫌がっているって気付いたから、山に残ったの」
「知ってる」

きっぱりとした返答に、浜路は信乃を見上げる。

気付いていた。

焚き木を取りに来たと言うのに、額蔵は、鉈も背負子も持っていなかった。
それどころか、日暮れが迫る時刻に、枯れ木の少ないこの季節に、焚き木を探して山に入ること自体が、妙なのだ。

気付いていたからこそ、素直に浜路を送る役を引き受けた。
しかし、不快感は拭えない。
気を回されることなど、手の中で踊らされているようで、不愉快だ。

「そう言うところが、嫌いなんだ」

信乃は吐き捨てる。
吐き捨てながら、浜路がかいでいた物とは別の鬼百合の茎をへし折った。

固い茎の折れるぱきんと言う感触が、腕に響く。
花を投げ捨て、信乃はざわめく森の木々を見上げた。

(あいつは、一体何を考えているのか…)

それが分からないことが、一番不愉快だった。