信乃は、赤く染まっている。
二間きりの犬塚家の、小さい部屋の床板に伏して。
部屋の明かりの油は遠に切れ、昇った朝日が、信乃を照らし出していた。
潮と金属が混じった臭いが、部屋中を包む。
身体中が、冷え切って、小刻みに震えているのが分かった。
「…父上」
縋るように伸ばした手は、取られることは無い。
汚れることなど構いもせずに、信乃は父の元までにじり寄る。
動きに合わせ、飛び散った赤が頬を汚した。
古びていながら、それでも綺麗に手入れをされていたはずの犬塚家の床板は、汚れていた。
黒く沈んだ赤。
粘り気のある水分が、じわじわと広がっている。
広がって、広がって、信乃の着物の裾を濡らしていた。
信乃は、床を這った。
床に伏した父の元を、目指す。
赤く粘りつくような、血だまりの真ん中で伏して動かない、父の元へ。
どくどくと、番作の切り裂いた腹や首筋から流れる血は、まだほのかに温かい。
父の命だったものが流れて、冷めて行く感覚。
腹から零れ出した薄桃色の腸や胃と言った臓物は、いくら押し戻しても元の場所に収まることは無かった。
冷たい、グニャリとした感触に、死の手触りを感じる。
番作の瞳は、濁っていた。
暗く沈んで、まるで血だまりの様で。
二度と光を抱くことは無い。
犬塚番作は、もう二度と動くことは無かった。
父の死体に突き立った源家の宝刀は、一滴の血にも染まっては居ない。
ほとほとと涙を零し、その刀身を濡らしていた。
「村雨丸…」
信乃は、刀の柄を握った。
力を込めなくても、刀は吸いつくように手の平に馴染んで、父の体から抜ける。
刀身が、雫を零す。
名の通り、村雨に濡れたように、濡れている。
祖父が、父が、命を賭して守った刀は、妖しいほどに美しい。
虚ろな目をして、信乃はうっすらと笑う。
「父上、信乃もお供いたします」