白刃はきらきらと、朝日に光る。
まるで、信乃を呼んでいるようだった。
室内で、ことんと足音がする。
居間と父の居室を遮っていた藁で編まれた隠しの向こうから、与四朗が現れた。
傷を負った身体を無理矢理に動かし、足を引きずりながら血の海の中を進んで来る。
その目は、出血に濁ってはいたが、ヒタと信乃を見据えていた。
鼻の奥を鳴らしながら、血濡れの手に甘えかかる愛犬に、信乃は力なく微笑み、その頭を撫でる。
「与四朗、私は、これから父上のお伴をするつもりだ。
お前も、一緒に行くか?」
絶え絶えな息の中で、傷だらけな犬は確かに吠えた。
与四朗は、主の手にその身を寄せた後、離れた場所に座る。
そこは、刀を振り下ろすのに、とても適した位置だった。
「分かった、先に楽にしてあげる。
私も、すぐにあとを追うからな」
信乃は、村雨丸を振り上げる。
刀は、ぽたぽたと雫を零した。
まるで、泣いているように。
泣けない信乃の代わりを務めるかのように。
初めて握る真剣は重い。
父と祖父の、そして今、愛犬の命までもを、信乃は振り上げている。
無意識に、信乃は念仏を唱えていた。
重力に釣られ、重い重い、本物の刀が落ちる。
与四朗の首を目がけて。
肉を断つ感触は、思ったよりも柔らかくて、悲しくなった。
終焉は、呆気ないもの。
骨を断つ抵抗も名刀の前には軽い。
恐怖に、四肢が震えた。
己の手が、愛すべき大犬を、いつも傍らに寄り添っていた大犬の命を、壊している。
壊した。
与四朗の首が落ちる。
ごとりと音を発てて。
白と黒の斑に彩られた犬の首が、床に転がった。
鋭い刃によって切れた血管から、じんわりと血が滲む。
一度あふれ始めた血は、見る見る間に噴き出て、信乃に降り注いだ。
チキと、手の平の中で鍔鳴りがする。
父と愛犬を彼方に誘った刀が、呼んでいる。
早く、おいでと。
そんな気がした。
刀は、なおも雫を零し続ける。
はらはら、はらはらと零れて、刀身には、血曇り一つ残っては居ない。
「…父上、与四朗。
今、信乃もそちらに参ります!」
信乃は、首筋に刃を滑らせる。
痛みよりも、熱さを感じた。
さらに力を、込めようとしたその瞬間、与四朗の首から噴き出す血の勢いに押されるように、発光物が飛び出した。
それは、昇ったばかりの日の光を照り返すのではなく、自ら輝いているように見えた。
飛び出した何かは、信乃の左肩に当たる。
「っ、ぁぁぁあぁぁあ!」
焼け付くような、経験したことの無い痛みが襲う。
口からは悲鳴が漏れ出で、思考が白んだ。
咄嗟に、肩を押さえ、愛犬の首から飛び出した何かを掴む。
手の中から滑り落ちた刀は、カラカラと音を発てた。
「信乃さん!?」
何ものかが、家の中へと駆けこんで来るのが、意識の端に引っ掛かった。
それが誰であるかも分からない。
そこから、意識はぷつりと途切れた。