闇夜の祭り火





時は、草木も眠る丑三つ時。
それにもかかわらず、深い山奥に隠れたメラクの里は活気付いていた。

星がソラを支配する深夜に、里人は里中央の広場に詰め掛け、始まりを告げる合図を今か今かと待ちわびている。
老いも若きも、頭から布を被り、装飾の多い独特の民族衣装に身を包む。

基調となる色は、漆黒。
顔には、動物を模った白い面。
明々と焚かれた松明の火に照らされたその光景は異様なものだった。

里の北、里を守るソラ神を祭った岩棚前は、一際明るく、供物を捧げる為の祭壇が浮かび上がる。

今夜を迎えるに当たっての準備は数ヶ月前より行われ、半年もの間、里を東西に二分していたイバラもすでに除かれている。
広場を囲む柵のすぐ際、松明の明かりの届かない闇には今宵の主役――東西祭司が居していた。

今夜は、待ちに待った新月。
17年育てた鬼子をソラ守り神へと捧げる、闇夜祭りの晩だった。

腹の底の空気まで揺らすような法螺貝の音が、凪いだソラに木霊する。

(…風が、出てきた)

ざわめくのは、揺れる木々かこの身を流れる赤き血潮か。
漆黒の衣装に僅かな銀の装飾を施した若い男が、西の祭司席でソラを仰いだ。

神経が昂ぶっている。
緊張で手足が強張っていた。
身の丈ほどの木製の棒を握り締めて僅かに震える右腕に小さく笑う。
手ずから木を選び、切り出したそれはどんな物よりも手に馴染む。

(びびってんなよ)

気を落ち着けるためにゆっくりと吐き出した息は白くたなびいて、濃紺のソラへと消えていく。
睨み上げる様な視線の先では、闘技場に変わった広場が仄かに紅く鎮座していた。

日が落ちるまでは茨の蔦が這っていた、広場の中心に当たる場所に禿頭の老人が一人、立っている。
それは里一番の長老にして、前星守りの孫。
星守りになった者だけが持ち帰ることを許され、効果が数代に渡って続くという長寿の秘薬の証明でもあった。

「これより、奉納試合を始める。両祭司、前へ」

里一の長老ビキ翁の厳かな寂声が広場に響いた。

奉納試合は、東西の祭司を戦わせ、岩棚に供物を捧げる任を負う星守りを決するために行われる。
里人達は茨によって分けられた半年の内に、各陣営の腕自慢同士を戦わせ、代表となる東西の祭司を決めていた。

メラクは長年の間、用心棒から暗殺まで、様々な荒事を他里より請け負って生計を立ててきた。
依頼数を格段に増やす里一番強さの証、星守りの名も、それを手にすることで得る秘薬も喉から手が出るほど欲しい。
しかしそれ以上に、己の矜持を賭けた戦いでもあった。

フッと、広場と北の祭壇以外の里の内を照らしていた松明が消えた。
踏み締められて鳴る砂利の音がして、ピンと空気が張り詰める。

「我が名はタズ、東の祭司なり」

低い名乗りと共に一人目の祭司が剥き身の刀身を炎に晒した諸刃造りの長剣を携え、熊の面を着けた壮年の男が闇の中から現れた。
タズは里一番を自負する力自慢で、猪の首すら素手でねじ切ると言われている。

西の陣が緊迫感を孕み、息を呑んだ。
訳知り顔の面々に渦巻く緊迫感の中、西の祭司は小さく呟く。

「へぇ」

横にいた介添え役の意味有り気な視線に知らぬ振りをして、彼は狼を模した面を被ると松明の光りの中に歩を進めた。
地面を覆う、目の粗い砂利が鳴く。

面の下、西の祭司はゆっくりと唇の端を持ち上げる。

「我が名はシュラ、西の祭司なり」

西の祭司の名乗りに、広場は揺らぎだした。
現れた、黒に包まれた長身痩躯に様々な声が湧き上がる。
そここで聞こえるのは『若い』、『西はそれほどに不作か』と言う否定的な言葉。

ビキ翁の白い眉が歪む。
その下で細められた目がちらりとシュラに投げられた。

「存じているとは思うが、今一度、奉納試合の規定を確認しよう。
 勝敗は一方の面が割れる、または顔より外れた時、負けを認めた時に決まり、得物、防具は何を用いても、どのように使用しても良い。
 禁止事項はただ一つ、相手を殺すことだ」

よいか、と問われ、両祭司は首を縦に振った。

引く気の見得ないシュラにため息を吐いて、ビキ翁は手を上げる。

「両者、見合って」

東西祭司の四肢に力が籠もる。
猿面をかぶった太鼓打ちが勢いよく右手を振り下ろした。

「始め!」

――どん!

声と同時に、大気を揺らす大太鼓が鳴らされた。

開始の合図に祭司は東西共に一足、後ろに跳び退る。
互いに間合いの外で地を踏みしめて相手を見据えたまま己の得物を構え、相手の出方を見ていた。

剣を中段に構え、白黒の熊の面の内で、タズは侮りを含んでまだ歳若い西の祭司を検分する。

棒術使いの典型的な武器である間棒は、約180cm。
それよりも少しだけ小さい上背は175cm前後と見る。
体重は見るからに軽く、左肩だけの肩当に守られた肩はまだ薄い。
打撃力、丈夫さは共に低いだろう。

あの時よりは成長しているものの、負ける素養が見当たら無い。

「ボウズ、少しは強くなったのか」
「おれを知っているか」

油断無く身を構えたシュラの腕に力がこもる。

「もちろんだ。狼の一匹も殺せなかった腰抜けのチビだろう。
 狼の面などして、弔い合戦のつもりか。笑っちまう」
「五年以上も前の事を、まだ覚えてたのか。じじいの癖に呆けちゃ居ないんだな」
「ああ、しっかり覚えているよ。
 あの時はびーびー泣いて、今と同じように地面踏み締めるばっかりだったが、今日は一歩くらい動けるのか」

軽口の応酬に、隠されたシュラの眉が寄る。
棒を握った手に力が籠もり、正眼に構えられていた間棒が僅かに右に流れた。

構えの乱れは、動揺から生まれたものか、はたまた何か罠を掛け誘っているのか。
その手の内をタズは測りかねる。

だが、罠を仕掛けられていたとしても、負ける気はしない。
罠ごと斬り飛ばしてやる自信がある。

「あまり無様に負けてくれるな、おれの星守りの称号に傷が付く!」

声と共に、タズは左の首もとを狙って袈裟に振り下ろした。
くるりとシュラの手の中で間棒が回り、首めがけて突き出された鋼を滑らせる。
削られた木の欠片が飛んだ。

(存外、やるな)

体重と武器の重みを乗せた一撃を、受け止めずに流された。
相手の力量を見るための一閃とは言え、こうも易々といなされるとは。

シュラの構えとタズの太刀筋ならば、受け止める方が楽に防げた。
そうしなかったのは自分の速さと武器の脆さ、そしてこちらの力とを見越した故の行動だろう。

舌打ちを一つ落とす。

(気を抜いたら、危ういかも知れない)

西の祭司が繰り出す、柄を握る手首を狙った突きを払い除け、タズが斬りかかる。
その流れのまま切り替えした下段に繰り出した払いは、跳び下がって避けられる。
追いすがって切りかかれば、棒半ばの金属に包まれた強固な部分で受けられる。

競り合いに、火花が散った。

タズの柄を握る手に力が入る。

ぐらりと、西の祭司の上体が傾いだ。
押し負けたかに見えたシュラはしかし、そのまま崩れ落ちる事は無く、同時に、右足を軸にした素早い動きで東の祭司の背後に回る。
タズは、西の祭司に振り向きざまの一撃を繰り出す。
屈みこんでその一閃を避けながら、脚払いをかけたシュラのがら空きになった頭部に、上段から刃が降らした。

「ぅりゃあ!」

タズの雄たけびが夜に響き渡った。
響く、金属音。
続く静寂に、見物人たちが固唾を呑む音が聞こえるようだった。

「…勝負、あったな」

祭司の不敵な声が、夜のしじまを渡る。

闇を吸い込んだ朱塗りの棒が熊の面、額の中心を押さえつけるように動きを止めていた。

「敗者の宣言、してもらおうか」

無感動に呟いたシュラの棒の石突と熊面の間で、がりりと硬質な摩擦音がした。

タズの背後を北を目指して強く風が吹き抜ける。
寒いこの季節の吹くには不自然な南風に、シュラはついと視線を動かした。
仮面の下で、黒曜の双眸が見開かれる。

風の中に、見えるはずの無い黒衣の人影が。
はためく外套が。
笑みに歪んだ唇が。

ヒュンと、シュラの耳元で風が鳴った。

「あの時も教えてやったよな?
 一度武器を構えたら相手に止めを刺すまで気を抜くな、ってな」

きらりと金属の光がシュラの左目を刺す。
松明の光を反射した刃が首の左側、とくりとくりと鼓動を刻む動脈に突きつけられていた。

視線を逸らしたその一瞬。
その隙に剣を手放していたはずのタズの右腕が剣の柄を再び握り直していたのだ。

「どうだ、ボウズ。降参するか?」

ハッと、タズの台詞をシュラが嘲笑う。

「何がおかしい」

気色ばむ壮年の祭司を他所に、シュラからは余裕の雰囲気が昇る。

そして、ゆっくりと、その朱塗りの間棒を引き寄せた。

北風の吹き荒れる音がする。
その後には、面の陶器が割れる高い音。

タズは驚きに、双眸を開く。

何処にも痛みは無い。
地面に広がるのは、白く浮き上がるような破片達。
視界は、仄かに紅く広がっていた。

呆けた表情のタズが観客を見回す。
誰も、言葉を発しなかった。

皺の目立つ節くれ立った手が、闇夜を掴むが如くソラに伸ばされる。
老のその地割れた唇がゆっくりと動く。

「――星守り、その名を西のシュラ!」

判定に、広場が沸いた。

「シューラーぁ!」

賭け事でもしていたのだろう、勝った負けたと一喜一憂する群衆の前面、西の陣の中から、大声でシュラの名を呼び、転がりだしてくる小さな影があった。

ぴんぴんと本人の性格を表す様に落ち着きの無い髪をした、同じキシ翁の門下で武芸を学ぶ、年端もいかない少年。
名をロシ。
今宵は断っての願いで、各祭司に一人ずつ許される介添え役に就いていた。

「やったじゃん、シュラ!でも一体何が起こったの?」

まだまだ駆け出しの武芸者、メラク者であるロシには戦況が理解できなかったらしい。
問われて、シュラは後学の為になればと面の内に篭った声で答える。

「後ろに回った時、奴の面の縛り紐外しておいた」
「すげー!」

同門から星守りが出たと言う事実がそうさせているのだろう。
無闇にはしゃぐロシの後ろ頭を落ち着けと言う意味を込めて軽く叩き、それよりもとシュラは聞く。

「さっき、おれが東のジジイに石突突きつけた時に吹いた風、なんか変な事なかったか」
「おれは分からなかったけど…師匠が」
「何だって」
「人影が見えたって」
「―――そうか」

周囲に視線を巡らす。

シュラとロシ、二人の武芸指南役であるキシ老人は、西の一段高い観覧席から広場を見下ろしていた。
視線は何かを探すように、油断無く隅々に配られている。

「おい、じ――」

呼びかける声が途切れた。
視界が、陰った気がしたのだ。

「そうか、君は気付いたのかい」

不意に、そう囁かれた。
聞いたことも無い声だ。
弾かれた様に素早く振り返るが、そこには何も無い。
人間どころか、影すらも。

耳に呼気が触れるほどの距離で、声を聞いたにも関わらず、だ。

「如何したんだよ、シュラ」

訝った様子の介添え役に、周囲を見回しながらもなんでも無いと答える。
視線の先でソラがゆっくりと明度を上げていく。

その視線を追って、ソラを見上げたロシが、焦りを滲ませた。

「大変だ!急がないと夜が明ける。捧げの儀式が始まるよ」
「ああ」

不審な何かが里に居る。
平時ならば里中に伝え、皆で侵入者を淘汰するのが先決。
それがメラクの里掟だ。

だが、今日はそんな事にかまっている暇は無い。

面を被ったまま頭を振り、余計な思考を追い出していく。

もう、時間が無い。
機会は一度だけ。
絶対に失敗は許されない。
そんな事になれば、今度こそ、自分を許す事が出来なくなるだろう。

「シュラ、早くってば!」
「わかってるよ」

師匠のキシの北を目指す後姿を目の端に、ロシに促されたシュラは広場を後にした。

ゆるゆるとした風に吹かれて、闘技場中央の大きな松明が消える。
黒を基調とした群れは北へと向かい、それに気付くことは無い。

里人の気分は高揚し、唇から歌が滑り落ちる。
破滅を生む鬼子の最期を、この目でしかと見ると言う興奮。
あの日、あの時、伝え聞いた口碑が今宵己が眼前に蘇るのだ。


 今宵、ソラから月が消えた。
 今宵、断罪の機は満ちた。

 祝え、メラクが里人よ。
 この世の終わりが去ることを。
 讃えよ。
 里を抱えしソラ神を――――


歌声が遠のいていく。
暗闇に落ちた広場に残された熊の面の欠片を、白い指が拾った。
浮き上がるように白い、白磁で作られたかのような指だった。

「此度の守り手の名はシュラ、か。因果だねぇ、実に面白い」

舌で転がして味わうかのような楽しげな声は、シュラの耳元で聞こえたそれ。
集められ、ゆっくりと撫で上げられた陶器は、壊れる前の形を取り戻していた。

里人のような民族衣装とは違う、裾を地面にする様な長さの黒夜のマントがはためく。
踊るように爪先で回ると、ひゅうるりと一つ、風が生まれる。

影のような闖入者の姿は、北に岩山の聳えるメラクの闇に消え去った。






 * * *





 今宵、ソラから月が消えた。
 今宵、断罪の機は満ちた。

 祝え、メラクが里人よ。
 この世の終わりが去ることを。
 讃えよ。
 里を抱えしソラ神を――――


セイルは闇の中で、遠く里に響く讃えの歌に耳を澄ましていた。

寄りかかった壁板から深々と冷たさが背に移る。
窓も明かりのも無い鬼子の居室は、冷たい暗闇に支配されていた。

完全な暗がりは、おぼろげな物の形すら掴む事を拒む。
視界の利かない闇の中、立てた片膝に額を押し付け、抱え込んでただただ無為な時間を消費していた。

くるくると頭の中を回るのは、そう多くない、色彩の無い単調から抜け出したいくつかの日々。
7つまでの外での生活と、座敷牢に生活拠点を移してからの数少ない外出の記憶。

これから自分に訪れるのは煩悶も無ければ歓喜もない、無と言う名の安寧だと理解していても、本能はやはり、これからこの身に起こる事を恐れている。

気付いてしまえばそれまでで、恐れていると言う事実が応えた。
より深く感情が奈落へ転げ落ちる。

(大体、こんな寒くて暗いから気持ちが沈むんだ)

八つ当たりとも言い切れない転換をして、悪い方にしか向かない内省を断ち切った。

闇が、冷気と共に肌の隅々から滲みてくる。
こんな日にでさえその『鬼子は闇で閉じ込めろ』と言う教えに沿った対応を変えることの無いメラクの人々の行動には、賞賛さえ送りたい様な投げ遣りな気分になった。
癪に障るから、絶対にそんな事はしてやらないけれども。

鬼子――メラクの里では親に似ぬ子などをこう呼び習わしている。
数十年、または数百年に一度生まれ、世界に破滅をもたらすと言われている。
しかし、その罪の子が18になって始めての朔日、星守りの手によって鬼籍へと導けば、今までの不浄が全て消え去ると言われていた。

遠い音を拾うために過敏になっていた鼓膜を撫でる、不意の金物が擦れ合うガチャガチャと言う音に顔を上げる。
この暗い部屋唯一の小さな扉の方を見詰めていると、ゆっくりと光の筋が太っていった。

傍目から見て、落ち込んでいるような様子は見られたくない。
気取られたくない。

首を持ち上げた矜持に倣い、抱えていた膝を伸ばし、ふてぶてしいと取れる姿勢に返る。

差し込んだ光の眩しさが目を突いた。
反射的に眉根を寄せ、前腕で作った廂の微かな安息の暗がりから外界を見れば、黒い人影が声を発する。

「時間だ」

厳かで抑揚の無い口調が言外に告げる事実は、唯一つ。
終わりが来る。

「――今宵、暗澹の夜が明ける。
 供犠の鬼子が夜を拭き消し、新たな日々を創るだろう、ってか」

メラクに伝わる『天地再生』の口伝の一節を皮肉気に朗じる。

雪の降る夜、あるいは雨の夕暮れに炉辺の暖かな場所で語られる、事実確認も出来ないほどの古い出来事。
人の口から口へと語り継がれた物語は伝える。

鬼子が消えて日が昇る、と。
新たな光が世界を照らし、今までの不浄も、悪行も全て無かった事になる、と。
鬼子が里に生まれる度に、人々は罪の浄化を待ちわびる。
そして、己が罪の形代とした鬼子の灯火が消えた瞬間、普段は静かに木々と岩山の間に沈む里も喝采に湧く。

昇り行く朝日に似た晴れやかな、笑顔の顔、顔、顔。
浮かんだ光景に、再び胸が悪くなる。
想像なのだと言い聞かせても、嘔吐感は拭い去れなかった。

「着ろ」

顔めがけて、黒が飛んでくるのを目蓋越しに感じ、目を閉じたまま受け取る。

鬼子である彼の光彩には色素が存在しない。
その赤い瞳は微かな光で闇の世界を視る事には長けていても、強い光を見ることを拒絶する。

ならば痛みだけを生み出す光の中に放り出されるくらいなら、早々に冷たい闇の中に沈めて欲しかった。

「はいはい、今着替えますよーっと」

光への不快感などおくびにも出さず、鼻歌交じりに放られた装束を広げる。
のんびりと腰を上げる白色の少年に、着替えを持って現れた人物が、焦れているのが空気を介して伝わってくる。

そう言えば、十年もの間、三度三度の食事と着替えを持って来ていた人なのに、顔はおろか名前すら知らない事に気付く。

(この対応じゃ、知りたいとも思わないけどな)

メラクの里人達はこの部屋に立ち入ると禍を貰うと頑なに信じ込んでいるため、絶対に戸の中には足を踏み入れないし、会話も必要最低限の物しかしない。
光の腕に抱かれたメラクの里人達は闇の中のセイルには輪郭しか映らない。
当然セイルにとっても自分に拒否の感情以外を抱くことの無い里人に、おどけて、擦り寄って、温情を請う様な真似はしたくなかった。

目を閉じたままの着替え難さに閉口して、袖口を探して薄目を開ける。
視界に入ってきた色は予想を裏切らない、純白。
大嫌いで、本当なら見たくも無い色に嫌悪が募っていく。

メラクの里にとって白は、死装束だ。
依頼の失敗、里への背信行為をした者がこれを着て、里中を引き回される。
馬上では首に、手に縄をうたれ逃げようとすれば即刻死。
しかし、そのまま無事に里を練り歩いても待っているのは三日月に反り返った長刀の冷えた煌めき。
温かな赤を散らして、そのままブラックアウト。

白は死を待つ者の色。
忌むべき色。
そして、全ての光を跳ね返す、鬼子の色だった。

舌打ちをしようと上顎で跳ねようとした舌を、音がする前に制止する。
衣装とは正反対の胸の裡の黒さは拭えなかった。

イラつきを、死への恐怖を、一人の寂しさを見せたら負け。
それが穢れの子として育てられた彼の信条で、通則だった。

運命は変えられない。
どう足掻いても返られない事など百も承知の上で、何時からか定め、無意味に天命とやらと張り合っている。

だから、嫌悪を露わに扉を閉めろとは言わない。
言えない。

「いやーん、お着替えしたいから出て行ってぇー」

代わりに転がりでてきた気色の悪い戯言に、今度こそ大きな音を発てて扉が閉まった。
勝った、と誇らしげに鼻を鳴らしてセイルは服を着替え始める。
首に吊り下げた小瓶の中で、小さな白い牙がカラカラと軽い音で歌っていた。

絶対に返せと言われたこいつを返す暇は、あるのだろうか。

衣擦れの合間に、失笑を混ぜ込んだ息を吐き出した。

この部屋を出た後は、自分にとっては処刑場である祭壇に引き出されるのだ。
そんな時間が与えられるわけが無い。
あったとしても、きっと、受け取っては貰えないだろう。

あの日から、随分と時が経っている。
無垢に、無知に自分と親しんでいた子どもにメラクの常識と里人同様の鬼子に対する嫌悪を植えつけるには十分過ぎるほどの時が過ぎた。
それくらい、遠い遠い日の約束。
今も寄りかかる冷たい壁越しの契りだ。

出会えたところで、顔なんて分からない。
声は変わりにくいと聞くが、変声期を経て低くなった自分の声を思えば、彼もあの頃のままでは居ない。
変わった声すら分かるなどと嘯けるほど、高邁でも楽天家でもない。

けれど。

閉じた目蓋の上から色の分からない紐を結ぶ。
たぶん、あの忌むべき白だろう。
光の中を進むため、安寧の暗闇をもたらすお守りだ。

「終わった。
 さっさとソラ神様だか鼻紙様だかの所へ連れてってくれよ」

鬼子は皮肉を込めて扉の向こうに、声を張った。
さらりと開け放たれる木戸の音をカウントダウンと聞きながら、けれどこれだけは、思う。

自分の最期の瞬間を、あの黒い瞳が見送ってくれればいい。
その顔が笑顔でなければ、悲しげであれば、もっといい。

そんな、途方も無く自分本位な事を願った。


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